※ 物語の結末の気配に、ゆるやかに触れています。
あらすじ
瀬戸内の島、ふたりの十五年
瀬戸内の島で暮らす高校生・井上暁海は、家に寄りつかない父のかわりに、心を病んだ母を支えて生きている。そこへ京都から転校してきた同級生・青埜櫂。恋愛に生きる母に振り回されてきた櫂もまた、家族に縛られていた。同じ孤独を抱えたふたりは惹かれ合う。けれど高校卒業後、夢を追って東京へ出る櫂と、母を置いて島を出られない暁海の道は、少しずつすれ違っていく——。親の人生に巻き込まれながら、それでも自分の人生を生きようとするふたりの、十五年の物語。
いのちの話
一番幸せなときに、死はくる
聴き終えて、まっさきに残ったのは、このあらすじではなかった。命がいつ絶えるのか、ということだった。
一番幸せなときに死がくることもある。そして、死がくるときこそ一番幸せなのかもしれない。このふたつの文は、矛盾しているようで、たぶん同じ場所を指している。
幸せの絶頂で人生が終わるのは、悲劇だろうか。それとも、終わりの瞬間に「幸せだ」と思えたなら、その人生は幸福だったと呼んでいいのだろうか。この物語は、その問いを正面から突きつけてはこない。ただ、ようやく自分の人生を選び取れた人間のかたわらに、静かに死を置く。だからこそ、聴き終えたあとに、自分の番として考えざるを得なくなる。
私はいま、いつ終わっても「幸せだった」と言える生き方をしているだろうか。
家族の話
選べない家族と、選び直す家族
この物語のもうひとつの軸は、家族だ。暁海の父は家を出て、残された母は心のバランスを崩していく。櫂の母は恋愛のたびに生活ごと流されて、息子を振り回す。ふたりとも、親を愛しながら、親に人生を絞めつけられている。高校生が、親の人生の巻き添えになっている。聴きながら何度も苦しくなったのは、ここに嘘がないからだ。
家族は選べない。生まれたときに配られた手札で、途中で降りることも許されない。捨てられないからこそ、いちばん近くにいる呪いにもなる。それでも、この物語は呪いの話では終わらない。血のつながりでも、恋愛でもない家族のかたちが、ちゃんと差し出される。誰かを守るための結婚があってもいい。世間の言う「普通の家族」から外れていても、そこで人が救われているなら、それを間違いと呼ぶ権利は誰にもない。
家族は選べない。それでも、家族のかたちは選び直せる。
そしてこれは、死の話と地続きだと思う。いつ絶えるかわからない命で、「正しい家族」を演じるために生きるのか。それとも、自分で選んだ人のそばで生きるのか。
山と谷の話
地獄の底で、明るく思わなくていい
人生は、山あり谷ありだ。いま絶好調の人が、そのまま行けるとは絶対に限らない。光の当たる場所から、あっけなく転げ落ちることがある。暁海と櫂の人生も、そうやって何度も浮き沈みする。
だから逆に、いま本当に地獄の底にいる人も、無理に明るく思う必要は決してないと思う。底にいる人間に「前向きになれ」と言うのは、ただ残酷なだけだ。この物語も、どん底の人間に安易な希望を差し出したりはしない。ただ、生きてさえいれば、いつか自分の腑に落ちるときがくる。あの谷があったから、いまの自分がここにいるのだと、自分なりに呑み込める日がくる。
明るく思えなくていい。呑み込めなくてもいい。ただ、生きていること。それだけでいい。
耳で聴く読書
声に乗って、胸の奥にささる
今回はAudibleで聴いた。目で読む読書なら、痛い一文はページをめくる速度でやり過ごせる。でも朗読は、こちらの都合で速くなってくれない。凪良ゆうの言葉のタッチが、レトリックが、声に乗って、胸の奥にズキッとささる。
きれいな比喩だな、と思った次の瞬間には、もう刺さっている。そういう文章だ。目で読んでいたら流してしまったかもしれない一文に、耳だと逃げ場がない。この小説とオーディオブックの相性は、ちょっと反則だと思う。
むすび
それでも光は届く
星は、光って見えるとき、もうそこにないのかもしれない。それでも光は届く。『汝、星のごとく』というタイトルの意味を、聴き終えたいまは、そんなふうに受け取っている。
いつ絶えるかわからない命を、それでもいま光らせて生きること。一番幸せなときに死がきても、それを不幸と呼ばせないこと。次は紙で、あの文章を目でなぞってみようと思う。