立ち上がれなかった僕を立たせたのは、じいちゃんとばあちゃんだった|『その扉をたたく音』を読んで

瀬尾まいこさんの『その扉をたたく音』を読んだ。

どんな話か

主人公の宮路は29歳。高校でバンドを組んだときからミュージシャンの夢を捨てきれず、大学を出たあとも定職に就かないまま、親のすねをかじって暮らしている。夢に向かって必死というわけでもない。ただ、諦めることもできない。人生の行き止まりで立ちすくんでいる、そういう男だ。
その宮路が、余興で老人ホーム「そよかぜ荘」に呼ばれる。そこで、とんでもないサックスの音を聴く。吹いていたのは、プロでもミュージシャンでもなく、ホームの介護士・渡部だった。
宮路はその音をもう一度聴きたくて、ホームに通いはじめる。目的は最初から最後まで不純だ。人助けでもボランティア精神でもない。それなのに通ううちに、入居者たちと言葉を交わし、名前を覚え、生活に混ざっていく。
人生の行き止まりにいる青年と、人生の最終コーナーに差しかかった人たち。噛み合うはずのない二つが、同じ建物の中で少しずつ噛み合っていく。著者は『そして、バトンは渡された』の瀬尾まいこさん。文章はライトタッチで、するすると読める。それなのに、終盤でしっかり心にずしんとくる。
この本を読んで、実社会と共通する考え方を改めてまとめたい。以下の10個を、順に書いていく。
01 ベッドから起き上がれなかった頃のことを思い出した

東京に出てすぐの頃、自分の実力不足をこれでもかと思い知らされた時期がある。まわりには、自分より頭が回る人も、弁が立つ人も、結果を出している人もいくらでもいた。落ち込んで、朝になってもベッドから立ち上がれない日があった。あのときの体の重さは、いまでも思い出せる。
そんな時期に、僕はデイサービスに行った。
何かを届けに行ったつもりだった。でも実際には逆で、じいちゃんとばあちゃんに励まされて、元気をもらって帰ってきた。あの日、僕を立たせたのは自分の意志ではない。デイサービスにいた方々だ。
宮路も同じだ。誰かを支えに行ったわけではないのに、変わっていくのは宮路のほうだった。読みながらずっと思っていた。これは僕だ、と。
02 僕はじいちゃんばあちゃんっ子だ
昔から、じいちゃんばあちゃんといるのが好きだった。話を聞いているのが楽しかったし、居心地がよかった。いまこの仕事をしているのは、たぶんその延長線上にある。
そういう人間だから響いたのかもしれない、とも思う。でも読み終えて、逆だと思った。じいちゃんばあちゃんっ子だから分かる話ではなくて、まだ知らない人にこそ届いてほしい話だった。
03 じいちゃん、ばあちゃんをバカにしてはいけない

歳を重ねた人を、わからない人として扱ってしまう瞬間が世の中にはある。認知症があるから、耳が遠いから、体が動かないから。そういう理由で、話し方が変わる人がいる。
でも、あの方々は僕らよりずっと長く生きて、ずっと多くを見てきた人たちだ。戦後の日本を建て直し、家族を養い、何度も景気が沈むのを見て、それでも生活を続けてきた。僕らが本で読むことを、身体で通ってきている。思っているよりも、ずっといろんなことを知っている。
敬意は気持ちの問題ではなく、介護技術の前提だと思う。教わる姿勢のない人に、いいケアはできない。
04 介護ほど「ありがとう」と言われる仕事は、そうそうない

一日のうちに何回「ありがとう」と言われるか。その数で職業を並べてみたら、介護は間違いなく上位に来る。
これは精神論ではなく、事実として現場にある。それなのに、この事実はほとんど語られない。
05 介護のイメージは、もっと良くてもいいはず
メディアがこの仕事を取り上げるとき、話題はだいたい決まっている。給与、人手不足、重労働、離職率。どれも事実だし、僕らが解かなければいけない課題でもある。
ただ、そればかりが繰り返し流れる。その結果、実態よりも暗いイメージだけが社会に定着してしまった。現場に行けばわかる明るい側面は、ほとんど外に出ていかない。
本当は、この仕事のイメージはもっと良くていいはずだ。
06 だから、明るい面を描いてくれてよかった

この小説は、介護の良い面をよく取り上げてくれている。もちろん、その裏にはネガティブな面がいくらでもある。それでもいいと思う。
物語が明るい側面を見せてくれれば、そこから人が入ってくる。入ってきた人が現実も引き受けて、産業が続いていく。順番として、それでいい。まず扉が開かないと、何も始まらない。
07 淡々と働いている人ほど、揺らいでいる
読み終えたあとに残ったのは、うれしさよりも宿題のほうだった。
現場には、淡々と仕事をこなしているように見える職員がいる。何が起きても表情を変えず、手が止まらない人。頼もしいし、実際に強い。
でも、その人たちの内側に大きな揺らぎがないわけがない。看取りがある。昨日まで話していた人が、今日はいない。家族の慟哭のすぐ横で、次の業務が始まる。
多くの人が、それを隠す。プロだから、と自分に言い聞かせて隠し続ける。そして、隠すことそのものに疲れていく。そういう人が山ほどいる。
必要なのは、もっと強い人を採ることではない。揺らいだものを吐き出せる場所を用意することだ。それは現場の善意でどうにかするものではなく、会社が仕組みとして持つべきものだと思っている。ここは僕の責任として持ち帰った。
08 シンプルに、楽しいものを追求する
宮路を動かしたのは、正しさではなかった。音がかっこよかった、ただそれだけだ。
人は正しさでは動かない。感情でしか動かない。社会的に意義があるという理屈だけでは、人は集まらないし、続かない。
だから僕は、シンプルに楽しいものを追求したい。利用者さんにとっても、働く人にとっても、まず楽しいこと。そこを外すと、正しさは空回りする。
09 人はいつか死ぬ。それは年齢によらない
施設にいる方々にとっての今日は、無限にある一日ではない。
同じことが僕にも言える。明日が必ず来る保証は、誰にもない。年齢は関係ない。
だから、今日が最後だと思って、最高の時間を過ごす。読み終えて残ったのは、この当たり前のことだった。
10 人生の最期のステージを一緒に過ごす仕事は、尊い
僕たちの仕事は、誰かの人生の最終盤に立ち会う仕事だ。その時間を、どう過ごしてもらうか。そこに関わらせてもらえること自体が、めったにないことだと思う。
尊い、と本気で思っている。ただ、その尊さを中にいる僕たちだけが知っていても仕方がない。もっと外に広めていく必要がある。
読んだ本
瀬尾まいこ『その扉をたたく音』(集英社)
https://www.amazon.co.jp/dp/4087717410
